『私の大好きな、メキシコの三都市』= タスコ・グアナファート・サカテカス= 〔記憶を記録に〕

2021.3.31.ETS

Mexico City

メキシコ市の素人画家広場(ハルディンデ・アルテス)に咲くハカランダの花。

 

私が、最初にメキシコを訪れたのは、1965年3月で、二週間滞在した。このとき、25歳の誕生日をメキシコ市で迎えて、沢山の友達を作ることができた。

そして、四年間の大学の部活で学んだラテンアメリカ地域、その北に位置する国、メキシコ合衆国を、この目でしっかりと焼き付けることができ、それ以来、メキシコの人と歴史が大好きになった。

そして、社会人となって、二回にわたり駐在する機会を得て、ラテンアメリカ地域を担当することとなって、出張の都度、何度となく、メキシコを経由、訪問することとなった。

今回は、この大好きなメキシコの中で、さらに好きになった都市があり、それが、つぎに述べていく三つの都市。タスコ(Taxco),グアナファート(Guanajuato),そして、サカテカス(Zacatecas)である。この三都市に共通するのは『銀山の町』である。メキシコは、今でも、この鉱物の世界一の国と言ってもよいところ。

 

タスコ(Taxco):

 

Taxco

タスコ(Taxco)のサンタ・ブリスカ寺院

この町は、メキシコ市から、太平洋岸の有名なリゾートであるアカプルコへ向かう街道のクエルナバカを過ぎて旧街道へ入ってしばらく走ったところにある、山間に創られた美しい町で、白壁、レンガ色の瓦屋根、そして、春になると高木に薄紫の花を咲かせる、ハカランダ(Jacaranda)、日本名、“紫雲木”の似合う町である。

この町の中心部の公園の前には、この町の銀山を開発した、ホセ・デ・ラ・ボルダが1743年に寄進したバロック建築の美しい、教会、サンタ‣ブリスカ寺院の姿がある。

その内部も、金をふんだんに使った豪華な教会である。

私が、この教会を初めて訪ねたのは、1965年3月の学生最後の年で、まさしくハカランダの花が満開であった。この坂道の多い、山にへばりつくように連なる美しい家々の風景は絵画を見ているような魅力を感じている。教会の広場の周りには、沢山の銀細工を売る店が軒を並べ、そのすぐ横には、小さな水飲み場のところに、教会の寄進者、

ボルダの像がある。そして、教会の横の坂を下ると、そこは日常の品を売るマーケットが広がっており、野菜、食料品、小鳥、民芸品、織物など、何でも売っている。

このタスコの町は、何回訪ねても,何回、坂道を上り下りしても、その度に何かを見つける魅力がある。昼食時には、必ず,教会が眺められる、小さなレストランのバルコニーの2~3人席でメキシコ料理を楽しむのが習慣となった

1970年に、最初にメキシコ市に駐在したときは、真っ先にソナ・ロサ(Zona・Rosa:当時は市内の中心の銀座のようなところ)の画廊で、タスコのサンタ・ブリスカ寺院を描いた油絵を買い求めて、ブラジルでも飾り、今も、居間に飾って、毎日眺めて楽しんでいる。

 

Taxco

タスコ(Taxco)を開発した銀山王、ボルタ

 

グアナファート(Guanajuato):

 

メキシコ市から北へ三時間以上走った、メキシコ高原のなかに位置する町で、メキシコ独立運動の最初ののろしを、スペイン人、ミゲ

Guanajuato

グラナファート(Guanajuato)

ール・イダルゴ神父が叫んだ町である。 ここも銀山の町で、今も採掘がおこなわれていて、町全体が史跡に指定されている。

町に着く手前の街道筋では、イチゴのシーズンになると、これをミルクで食べさせる“フレッサ・コン・クレマ”の店の昇りが並び、客を寄せるとともに、街道のイチゴ畑の横では、大きなかごにイチゴを一杯入れて、車に向かって売っている姿がある。

大きなかごの上の方は、粒ぞろいの良いイチゴが並べられているが、中の方に従って小さくなって、まんまと騙されてしまう.街道で車を止めて買う、“一見さん”では、帰ってから気が付くので、後の祭りである。

さて、街道を走って、やがて町は高原の窪地にいきなり現れる。周囲には何もない感じで、町の入り口にはトンネルがあり、その上に家並みが見える。

このトンネルの中へ車を走らせると、その左右に上に上がる階段や坂があり、迷路のごとくであるが、その昔は川が流れていたようである。

トンネルの左右の坂や階段を上がると、突然、街並みや建物が現れ、立派なフアーレス劇場や、昔は鉄道のターミナル駅で、今は大きなマーケットになっていて、何でも売っている体育館の様な所へも出られる。

また、トンネルの上の住宅街は密集しているが、趣があり、この街並みも絵になるところが多い。坂道もあり、家と家との間は、ベランダへ出れば顔がくっつく距離で“恋のセレナーデ”が、生まれる雰囲気のところである。

この町は、冒頭に触れたが、メキシコ独立運動の発祥の地でイダルゴ神父がミサをあげて、大衆を蜂起させたが政府軍に鎮圧され、運動は短期間で抑えられた。メキシコの独立記念日は、この神父が蜂起した、1810年9月16日と定められている。

Guanajuato

ピピラの丘から臨むグラナファート(Guanajuato)中心街

 

この町の中心部には、グアナファート国立自治大学の素晴らしい建物があり、夜になると、この大学のOBを含めた大学生の楽団が演奏を聞かせてくれる。この楽団は“エスツディアンティーナ”(Estudiantina)と言われて,各州の国立自治大学にあり、メキシコの民謡などを演奏している。

また、この町の小高い丘の上には独立運動に加わった炭鉱夫ピピル{フアン・ホセ・マルティネス)の像が町を見おろしていて、ここからの夜景が素晴らしい。町の一方の奥には、お城の様な、ホテル・サンタ・セシリアがあり、ロビーから階段を下りてゆくと左右の通路の奥に、部屋が並んでいる。

また、前のところで触れた、この町の一般の街並みが魅力的で、メキシコ市で毎週土曜日に、インスルヘンテス通りとレフォルマ通りの交差する近くの公園で開かれる“ハルディン・デ・アルテス”(Jardin  de  Artes)で素人画家が描いた、グアナファートの油絵が気に入って買い求めて、これもメキシコ、ブラジル、パナマの駐在地を同伴させて、今は自宅の壁でくつろいでいる。この町も何回訪ねても飽きない、また行きたい街である。

 

サカテカス(Zacatecas):

 

グアナファートから、さらに北へ、310キロメートルの高原にある町である。メキシコ北部の高速道路は、民営化されていて整備されており、周囲は牧場と乾燥した荒野が続き、料金所は100キロメートル走って、400円ほど払うといった具合で、ガソリンスタンドもなく、頻繁に見るのは緊急電話のボックスである。上下車線は分かれてはるか遠くを通っており、車とすれ違うことはない、したがって、飛ばしすぎて、ふとスピードメーターを見ると、160~180キロ出ていて、反省しきりである。

Zacatecas

サカテカス(Zacatecas)闘牛場を改装したホテル。キンタ・レアルの夜景

やがて平原から山に近づいて、水道橋近くのホテル・キンタ・レアルに到着。ロビーに入ると、そこはまさに“闘牛場”でロビーの位置は地上レベルだが、そこから地面を掘ってすり鉢状にしてあり、円形の中庭(闘牛士と牛が戦った場所)は地下三階ぐらいのところにロビーから見下ろすことになる。この闘牛場が開場したのは1864年とのこと。

当時、ラテンアメリカではペルーに闘牛場があったが、ここが二番目ということであった。そして1975年まで開催されていたとのこと。

このサカテカスは東西シエラマドレ山脈に囲まれた荒野で、最初にやってきたのはチチメカ人でサカテカスは部族の名前から付けられたようである。

 

Zacatecas

サカテカス(Zacatecas)中心街のゴシック建築協会

そして、鉱山が発見されて、1545年、当時ヌエバ・エスパニア(現メキシコ)の北の拠点とされ、ヨーロッパからの物資がメキシコ湾岸から陸路運ばれて集積されていた。銀山開発は先住民を酷使して1750年まで続けられて、その後、南アメリカのポトシ銀山(ボリビア)に太刀打ちできなくなり、今は廃鉱となった銀山跡は“エデン鉱(Mina El Eden)”として観光客に公開されているが、中へ入ると先住民を酷使した悲しい歴史を味わう説明がなされている。

この銀山跡を出て、町の中心に向かうと、銀による栄光の時代の象徴のような、正面の石の彫刻が素晴らしいバロック建築の教会が立っており、落ち着いた街並みで,一旦は廃墟となった建物も美術館として復元したりして美しさを取り戻している。

このサカテカスの町は、銀からとうざかった後は、独立運動やメキシコ革命闘争のもとになった混乱期を経験した。しかしながら、石の素晴らしい彫刻の建物がたくさん残るこの町もタスコやグアナファートと並んで,わたくしの好きな街になった。

メキシコは歴史を勉強し、人と交流することで、いろいろな町を訪ねると、みんな好きになるところばかりである。

 

 

エンリケ設楽

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