『白い肌の人間が来る』= ケッツァルコアトル/(テオトル)とピラコチヤ =

2020.5.20.

 

これはメキシコの古代文明の中に伝わる伝説と、南米『アンデス文明のインカ帝国に伝わった』伝説に基づくお話である。すなわち、両者に共通する点は”白い肌の人間がこの大陸に到来する“という言い伝えであった。

まず、メキシコの北部の伝説であるが、トルテカ・チチメカ族は紀元10世紀に伝説的な人物、ミシュコアトルに率いられて文明化したメキシコ中央部に侵入してクルワカンという場所に落ち着いた。

そして周囲の征服を進め、モレーロス地方へ出かけた折、先住民の娘に会い,トビルツインという息子を得た。ミシュコアトルは部下に暗殺され、王位を奪われたが、息子トビルツインは母方の祖父に育てられ、羽毛の蛇神、ケツアルコアトルの信仰に入って成長し、その神の神官になった。

そして古代メキシコの習慣に従って信仰する神の名、ケツアルコアトル(Quetzalcoatl)を名乗った。

間もなく、ケツアルコアトルは父が奪われた位を奪い返してトルテカの主権を握り、自分の信じる神の信仰を臣下に広め、母方から受け継いだ進んだ文化を人々に教えた。

そして、980年ころ、北のツーラに移って、王都を建設した。彼は『人身供犠』を禁じ、神々への犠牲のためには、蛇と蝶を用いるように命じた。

これに対して、トルテカの戦士たちの守護神であるテスカトリポカの神官たちが反対し、策略を用いて、ケツルコアトル王を追い出してしまった。

王は、987年にツーラを去り、メキシコ湾から東の海へ立ち去った。その後もツーラは文化的中心として栄え、知識人たちは芸術、宗教の業績を上げ、古い神々と新しい神々を融合させて、新しい哲学的解釈と体系的に努力を重ねて、新しい神学を作り上げた事実、後のアステカの宗教の基礎となるような宇宙観、世界観はこの時代にツーラで完成されたといわれている。

『太陽の世界の一種のサイクル史観』はアステカ文化の、今は第五の太陽の時代という考え方に通じる。すなわち、昼、天をかける太陽は“鷲”、それが、夕方沈んで、後にジャガーに変身して、地下の世界を進む、という解釈。

人身供犠の儀礼は、これに関連して、地下に降りた太陽は、毎朝,天に昇るためには生きた人間の心臓によって元気づけられなければならない。ツーラのピラミッドの側壁には、“人間の心臓を食う鷲の姿”が浮き彫りで描かれている。

その後、1156年頃、ツーラは内紛、移動、そして、テスココ湖畔には五つの都市が生まれるが、その中で、アステカと言う民がトルテカを凌ぐ、強大な文明国の創始者となる。

『アステカ王国』にはケツルコアトル王が高原から東の海へ去って、それが、いつの日か戻ってくるという伝説はあった。

 

一方、ユカタン半島のマヤ文明のマヤ族の間にも、『メキシコ高原から“ククルカン”(ケツアルコアトルと同意語のマヤ語)という戦士がやってきて,一帯の土地を征服した』、と言う伝説があり、チチェン・イッツアの遺跡にはトルテカの戦士が海からやってくる場面を描いた壁画がある。

アステカ人は自分たちの首長、すなわち、ケツアルコアトル王があるとき太陽の昇る方向から、再びやってくるとの信仰を持っていて、その年が、アステカの暦で、『一の葦』の年と言われていて、それが、1519年であった。

アステカ王モクテス―マはこれを恐れていた。まさしくこの時が,白い肌の人間、スペイン人、エルナン・コルテスと一致したのである。

このケツアルコアトルは王とも神とも言われ、ある時はナワトル語でテオトル(Teotl)とも言われたが、これは解釈が難しい。

一方、南米大陸の方でも『白い肌の人間が来る』と言う言い伝えがある。

それは〟“ピラコチヤ神”で、この神はインカ帝国の成立以前、今のペルーとボリビアの間に存在するチチカカ湖畔で信仰されていた天地創造の神とされ、容姿は『白人で顎ひげを蓄えた大柄な男性』とされていた、『ピラ』はケチュア語で“エネルギーの基”、『コチヤ』は“海”を表すと言われる。

当時、無秩序であったアンデス地方の人々に、いかにして生活するかを教え、人々に慈愛や親愛も説いたと言われ、『金の杖』を持ち、インカ文明を設立したとも伝えられている。

また、ナスカ地方に出現した時は、村人が石を投げて追い払おうとしたら、『海の泡』となって消えたとも、また、エクアドルから西の方角へ船出したとも言われ、諸説ある。

インカ帝国では、『インティ:Inti』が太陽神として信仰されているが,このピラコチヤも同時に天地創造の神として崇められている。

スペイン人征服者、フランシスコ・ピサロが上陸した時は、インカ帝国の北のアタワルパ皇帝は『白い肌の人』としてピラコチヤの再来と思ったことも否定できないが、アタワルパは事前に偵察していて、ピサロの行動を見て、『普通の人間』と確信していたが、カハマルカでピサロの計略にはまってしまった。

今、『麒麟が来る』ではないが中南米に伝わる『白い肌の人間が来る』と言う言い伝えである。

 

※参考資料(神の図)は『メキシコ文明展』東京新聞、1978.7.18.の案内書

※参考資料『古代アンデス文明展』国立科学博物館、TBS,朝日新聞、2017.10.21.

 

(エンリケ設楽)

 

 

Latin American Researcherの最新情報をお届けします

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です