南北のスペイン人コンキスタドール(征服者)二人の銅像を追って

スペインーエストレドヴェーラ・エルナン・コルテス(Hernan Cortes)

私は、中南米地域の先住民文化を征服した二人の征服者(Conquistador:征服者)、すなわち、1519年に,今日のメキシコのベラクルスにキューバの拠点から探検に来て上陸。

その後、アステカ文化を征服したエルナン・コルテス(Hernan Cortes)と、今日のペルーの北部、ツンべスからアンデス山脈のカハマルカへ進行して、インカ帝国(正式には、タワンティンスーユ帝国)を1533年に征服した、フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)の足跡と生家。そして、その銅像を追ったことがある。

メディジン庁舎前のエルナン・コルテス生家跡のモニュメント

メキシコには二度駐在し、メキシコ湾岸ベラクルス(旧サンフアン・ウルーワ)へ、最初のコルテスの住居跡、アンティグアを訪ねて,センボアラの先住民を見かたにつけてアステカ文化の都テノティトラン(現在のメキシコ市)へ進行した。

その過程をロジスティックスの観点から追い、コルテスが、あのメキシコの有名な火山、ポポカテペトル山とイスタシワトル山の間の峠、今のパッソ・デ・コルテス(Paso de Cortes)からアステカの都を見て驚嘆したであろう峠からイスタパラッパへ下りメキシコ市へ帰ったことがある。

(これは、1999.4.『ラテンアメリカ時報』にメキシコ史跡散歩:スペイン人征服者エルナン・コルテスの足跡を訪ねて=ロジスティックスとアライアンスの観点より=に記載)そして、駐在中にメキシコにコルテスの銅像があるかどうか調べたが、独立の英雄としてのミゲール・イダルゴ神父やベニート‣フアーレスの銅像はあるが、コルテスの銅像はなかった。

これは、メキシコ人は.自国、メキシコを古代から現在に至るまで誇りに思っている結果であると、私は思っている。

 

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ペルーの首都、リマの大統領官邸の正面に向かって左側、トルヒーヨ広場のピサロ

一方、インカ帝国を征服した、フランシスコ・ピサロの銅像は、ペルーの首都、リマの大統領官邸の正面に向かって左側、道路を挟んで角に、馬上豊かに建っている。

この広場にはサンフランシスコ教会があり、この地で暗殺されたピサロは、ここに眠っている。

トルヒーヨ広場のスペインのカカセレスの州のフランシスコ ・ ピサロ (ペルーの征服者) の騎馬像

私は、さらに追跡を続け、還暦の折、スペインのマドリードに駐在していた息子を訪ね、中南米の歴史が好きなことを知っている息子は、スペイン西部のエストレ・マデウーロの地をこの小さな広場は町の庁舎となっていて、メキシコの要人も訪れた様子がうかがわれた。

さらに、その少し小高い丘に教会があり、その説明板に、コルテスはこの教会で洗礼を受けたことが記されていた。

つづいて、トルヒーヨの町を訪ねると、その広場にはペルーのリマの大統領官邸の横と同様のフランシスコ・ピサロの馬上豊かな雄姿の銅像が建っていた。

スペイン・トルヒーヨのフランシスコ・ピサロの生家(現在は博物館)

そこから少し坂を登ったところにピサロの生家があり、現在は博物館になっていて、入り口の横には大きなイチジクの木があって、“Vida de Pizarro “:{ピサロの生涯}の案内板に、インカ帝国征服の歴史が記載されていた。

(ペルーでは、最後まで征服者に抵抗した、ツパック・アマル―が 今もあがめられており、大統領官邸の正面入り口から入って、左側の最初の大広間の壁には彼の大きな肖像が油絵で描かれて飾ってある。

また、ペルー紙幣にも肖像が描かれている)

最後に、現在のスペイン紙幣、1000Pesetaには、エルナン・コルテスとフランシスコ・ピサロの肖像が表裏として描かれている。スペインでは英雄である。

(エンリケ設楽)

 

 

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